はじめに-恋愛法学の世界へ-

とある居酒屋にて
A:あの男は、とんでもない奴だから気を付けた方がいい。自分から告白して付き合ったのに、たった3日間で飽きて別れたらしいぞ。
B:そうなんだ。でも、付き合って気持ちが冷めることもあるし、それも仕方ない気がするけどね。
A:仕方ないことはないだろう。3日間で別れるくらいなら、最初から告白しなければいいんだ。ただ無用に傷つけられただけの相手が余りにも可哀想じゃないか。
B:でも、相手に原因があったかもしれないよ?
A:そんなの弁解にはならないはずだ。もうあんな奴とは絶交しよう。そうすれば、あいつも少しは懲りるはずだ。

 社会生活を送るうえで、我々には様々なルールが課されている。その中には、国が法律の形式で定めたフォーマルなルールから、その時代ごとの習俗として暗黙の裡に形成されてきたルールまで、実に多様なものが含まれる。それらのルールを、通常我々は幼い頃から教育され、生活の中で実践し身につけていく。自身はその遵守を心がけ、自身と接触する他者に対しては、その遵守を信頼・期待することで、社会的に円滑なコミュニケーションを実現しているのである。そして、その期待が破られた場合には、ルールを破った者に対して、「非難」を差し向けることで(特に、法律が破られた場合には、刑罰という制裁が伴うことがある)、これらのルールの実効性を保とうとするのである。
 こうした社会生活を送る上でのルール(社会規範)は、「恋愛」の中にも存在している。すなわち、我々は、他者との間で恋愛関係を構築し、維持し、あるいは解消する場面において、社会の構成員として守ることが期待される一定のルールが存在することを前提に行動し、その期待が破られた場合には、ルールの違反者に対して、「非難」を加える。このような、我々の恋愛生活において現に妥当している社会規範こそが、本ブログで考察の対象とする「恋愛法」に他ならない。
 冒頭における「とある居酒屋」の会話においても、まさにこの「恋愛法」の実践が問題となっている。果たして、すぐに気持ちが冷めたことを理由に相手と別れる行為は、他人に非難されるような規範違反行為と言えるのだろうか?あるいは、すぐに別れるかもしれないのに、告白する行為が、すでに非難の対象とされるのであろうか?そうだとして、「すぐに別れるかもしれない」ことについて、行為者に現実の予見がない場合にも、その者を非難できるのであろうか?仮に、非難されるような行為であるとして、一体誰が、どのような制裁をすることが許されるのだろうか?
 恋愛法学は、こうした問いに対する、合理的な討議を可能とするような、思考の枠組みを構築することを目指している。枠組みもない中で、これらのトピックをいくら長時間話し合っても、論者同士の個人的な価値観や感情がただぶつかり合うだけであり、合理的な解決に辿り着くことは困難であろう。最終的には、「声の大きい」者の意見に流されて、散会になるというのが、まさに「居酒屋の恋バナ」の現状であると思われる。それは生産的でないばかりか、恋愛法の規範としての信頼や実効性を損なうものであろう。
 もちろん、本ブログの試みに対しては、「恋愛」における社会規範のみを切り取って、考察の対象とすることに、どれほどの意義があるのか疑問の声もあると思われる。恋愛法学などなくても、我々人類はこれまで、恋愛における社会規範を自律的に形成し、かつ、多年にわたって実践してきたのであり、これを今更学問の対象として捉え直すことの意義が、問われなければならない。また、価値観が多様化する現代において、そもそも、恋愛に関して特定の内容をもった規範が、社会において普遍的に妥当しているかどうか自体についても、疑問があり得よう。
 しかし、価値観が多様化し、規範が揺らいでいる現代だからこそ、恋愛のルールをめぐる議論が強く要請される。当事者間において、前提としている規範の内容に「ギャップ」が存在することは、常に紛争の火種となる。そのような紛争を合理的に解決し、あるいは未然に防ぐためにも、恋愛のルールを議論するための思考枠組みが求められるのである。無論、伝統的に社会に根付いてきた性規範には、その正当性に疑いがあるものも少なくないが、そうした規範の妥当性を改めて問い直し、将来に開かれた議論を可能とすることも、恋愛法学の課題といえる。
 恋愛法への学問的なアプローチの仕方としては様々な選択肢が考えられるが、本ブログの執筆者は、普段、刑法学を専門に研究していることから、ここでも、刑法学において蓄積された知見の応用を試みたいと考えている。刑法と恋愛法は、国家による「法」というフォーマルな形式をとっているかどうか、また、その違反に対して刑罰という国家的な制裁を予定しているかどうかという点で、違いはあるものの、「一定の行為規範への違反と、それに対する制裁の賦課」が問題となる点では共通している。刑法学において構築された理論枠組みや概念は、恋愛法の分析においても有益であろう。本ブログは、(刑)法学の知識がなくても理解ができるように心がけているが、より理解を深めるためには、法学に関する知識の修得が必要となる。他方で、法学の基本的素養がある者にとっては、本ブログの恋愛法学の議論が、法学に関する知見を深めることや、あるいは、再検討するための契機になるかもしれない。
 恋愛法学の議論は、大まかに言えば、「恋愛において、いかなる行為が禁止(ないし許容)されるか」をめぐる行為規範論と、規範違反が行われた場合に、「誰がいかなる制裁を課してよいのか」をめぐる制裁規範論の問題に区別できる。「とある居酒屋」の会話の例では、「あの男」による、いかなる行為が社会的に許されない(あるいは、許される)のかという議論が、行為規範論の問題に属し、「あの男」に誰がいかなる制裁を課してよいのかという議論が、制裁規範論の問題に属するといえる。そこで、本ブログでは、最初に、恋愛法学の総論的な原理を明らかにした上で、次に、具体的な行為規範について各論的な検討を行い、最後に、行為規範が破られた場合の制裁をめぐる検討を行うことにしたい。