交際における「因果関係の錯誤」

 「恋は錯誤の裏返し」という法格言が示すように、恋愛においては錯誤が付き物である。すでに本講義の中でも幾度となく錯誤問題について検討を加えてきたが、今回は、交際の開始において頻繁に生じうる「因果関係の錯誤」の問題につき若干の考察を行いたい。

 「因果関係の錯誤」とは一般に、結果に至ることの認識・予見は存在したが、結果に至るまでの具体的な因果経過(プロセス)が、認識・予見していたものとは異なるものとなった場合として定義される。本講義で取り扱うのは、交際の開始における「因果関係の錯誤」の問題であるが、その事例としては以下のようなものが考えられるであろう。
 例えば、太郎が花子と将来交際をする目的で、花子にアプローチをしかけたという場合において、当初の予定では、何度か食事に誘って、徐々に親密になった後に告白をしようと考えていたが、意外にも初回の食事会の際に、お酒の勢いで非常に「親密」な関係となり、そのまま交際を開始したというような事例である。このような事例は、恋愛実務においても頻繁に生じることが指摘されるが、この場合、太郎が意外にも早い段階で、恋愛関係を実現してしまっていることから、「早すぎた恋愛関係の実現」と呼ばれている。
 これに対して、交際の開始における「因果関係の錯誤」の事例群の中には、「遅すぎた恋愛関係の実現」と呼ばれる事例も存在している。これは、例えば、太郎が花子に交際を申し込んだが、失恋してしまい元気をなくしていたところ、それを見かねた花子が意外にも、「仕方ないわね」と言って太郎との交際を受け入れたような場合が考えられる。

 このうち、「早すぎた恋愛関係の実現」の事例については、相手のことをよく知らないまま交際関係に至ってしまうことから、交際後にトラブルが生じやすい点が指摘されている。そのため、多くの見解によれば、「早すぎた恋愛関係の実現」は、可能な限り回避すべきであるとされている。ただし、「早すぎた恋愛関係の実現」が現に発生してしまった場合には、恋人としての完全な責任を将来に向かって負うことを肯定するのが通説である。「因果関係の錯誤」があるとはいえ、太郎は、花子との交際に向けた「実行の着手」を行っているのであり、交際開始という目的を遂げたのであるから、その責任は完全なものとして認められなければならないのである。これに対して、少数説は、「実行の着手」の段階では、未だ最終的な「壁」の乗り越え、すなわち「告白行為」が行われていないため、行為者に完全な責任を負わせることはできないとしている。その結果、成就してしまった交際関係についても、少なくとも一定期間の間はこれを破棄し、恋人としての責任を免れることが可能であるという帰結が認められるとするのである。この少数説の見解は、先に述べた「早すぎた恋愛関係の実現」の実務上の弊害、すなわちトラブルが生じやすいという点を念頭に、交際からの離脱を認めようとするものであると考えられる。しかし、そのような弊害の発生は、未然に防ぐべきものであって、すでに交際要件が実現した状況において、その実現による責任から恋愛当事者を解放する根拠となるものではない。まさに「恋は錯誤の裏返し」であり、恋愛に錯誤が付き物である以上、ここで問題となるような因果関係の錯誤が、責任逃れのための安易な抗弁として用いられることを認めるわけにはいかないのである。

 他方で、「遅すぎた恋愛関係の実現」の場合については、「早すぎた恋愛関係の実現」のような弊害は問題とならない。したがって、この場合には、「早すぎた恋愛関係の実現」の場合と比較して、実現した交際についての完全な責任がさらに認められやすいといえるだろう。また、そもそも、恋愛に「遅すぎる」などということはあり得ないのではないだろうか。そこに愛が芽生える限り、私たちはいつでもパートナーと共に「今」を生きることができるのである。このように考えれば、「遅すぎた恋愛関係の実現」というのは、仮象問題に過ぎないものとも言えよう。

 私たち人間は、現実の因果経過を細部にわたりコントロールすることなど到底できない。ましてや、何が起こるかわからない恋愛においてそれは尚更のことである。したがって、「因果関係の錯誤」は恋愛の至る場面において頻繁に生じることになるのであるが、少なくとも交際の開始における「因果関係の錯誤」が、原則として行為者の責任を減弱ないし否定するものではないことが今回の講義では明らかとなった。それは、もしかすると、コントロール不可能な因果経過をパートナーと共に歩み続けることが、まさしく「恋愛の本質」であることに由来するのかもしれない。